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両大戦期のイギリス帝国に関する話題がメインです

1918年西部戦線におけるオーストラリア軍団の戦い④ アメル

モナシュはこれまでの経験を踏まえ、現在直面している戦争を戦い抜くためには歩兵の心身の卓越や規律だけでは不足で、機銃、迫撃砲、火砲、戦車、航空機といったテクノロジーとの効率的な協同により、最小限の損害をもって戦果を得ることが不可欠であると考…

1918年西部戦線におけるオーストラリア軍団の戦い③ ジョン・モナシュの司令官就任

3月21日から5月初旬にかけてオーストラリア軍が受けた人的損害は死傷15,000人にのぼり、割合としては前年度までと遜色なく大きく(第3師団の第9旅団、第4師団の第12・第13旅団では損害を受けた大隊の解隊が行われている)、これ以上の作戦継続による戦闘力低下…

1918年西部戦線におけるオーストラリア軍団の戦い② ヴィレル・ブルトンヌ

1918年3月21日、ドイツ軍の参謀次長エーリヒ・ルーデンドルフは大きな賭けに出た。アメリカ軍の本格的到着を前に戦争の決着を図るべく、カンブレー~ラ・フェール間のイギリス軍の前線に対し、ドイツ軍の大攻勢「ミヒャエル」作戦が開始された。緒戦でイギリ…

1918年西部戦線におけるオーストラリア軍団の戦い① 1916年~オーストラリア軍団の誕生まで

ガリポリ戦役の終了後、オーストラリアの海外派遣軍(オーストラリア帝国軍)はエジプトで兵力を再編・増強(2個師団から4個師団へ。最終的には5個師団となる)し、ニュージーランドの派遣軍とともに第1アンザック軍団(軍団司令官ウィリアム・バードウッド中将、…

「けものはいてものけものはいない しかし彼らは廃馬を撃った」―WW1シナイ・パレスチナ戦役におけるオーストラリア・ニュージーランドの軍用馬

WW1シナイ・パレスチナ戦役は、戦車・毒ガス・航空機といった新兵器の投入が見られたという点では「20世紀の高度産業化時代の戦争」としての性格を有していたとはいえ、1917年のベエルシェバや1918年のメギドが象徴的あるように、エジプト派遣軍の作戦遂行に…

「ブラック・アンザックス」―WW1シナイ・パレスチナ戦役におけるイギリス領西インド諸島連隊

第一次世界大戦が勃発すると、西インド諸島各地のイギリス領植民地でも、オーストラリアやニュージーランド、カナダといった白人自治領(ドミニオン)と同様、イギリス本国への忠誠を示す集会が開かれるなど、戦争の大義への賛同を示す声が多く見られた。当初…

「ラストクルセイダース」―WW1シナイ・パレスチナ戦役における十字軍レトリック

第一次世界大戦時のシナイ・パレスチナ戦役は、映画『アラビアのロレンス』(1962)や『砂漠の勇者』 (1987)―今年はベエルシェバの乗馬襲撃から百周年にあたるので、本来なら「エミュー戦争」よりもこちらの方が注目されるべきなのだが―が象徴的であるように、…

バルディア―忘れられた大勝利

1940年12月9日、西方砂漠軍Western Desert Force(のち第8軍団)司令官R・オコンナー中将はエジプトに進攻していたイタリア軍に対する反撃作戦「コンパス」の開始を命じた。エジプト領内のシディ・バラニにあるイタリア軍前線基地は12月11日には陥落し、イギリ…